名前
南 健太郎 (27歳)
大学2年生の時に受けた留学試験で、「君の情熱はよく伝わったけど、君が単位を取ってくる気がしない。」という理不尽な理由で落とされたことで人生には必ず理不尽なことが起こることがあると実感。
今後自分の人生を生きていく中で理不尽な目にあっても対応できる力が必要だと考え、今後仕事に困ることはないだろうと思い苦手だったプログラミングを覚えて約1年間システム会社で修行したのちに独立。
大手サイトの保守やWordPressを使った会員サイト構築、メール配信システムなどを製作。
フリーランスとして、活動していく中でクライアントにもっと貢献するにはどうすればいいか考える。
その答えの中の1つとして、Webマーケティングを学ぶ。
また、プログラミングを単純に製作するだけのスキルだけではなく、もっと違う使い方ができないか?と考える。
その答えとして、プログラミングを製作をするための手段ではなく、普段行っている作業を自動化してくれる時間を作るための手段という風に捉える。
普段はWebサイト制作などのフロントエンド、業務効率化を図るためのツール開発やシステム開発などのバックエンドなどをして活動しております。
このブログの目的
僕が普段プログラミングとマーケティングを駆使してグロースハッカーとして活動していく中で、世の中には色んなインフラとなるようなものが溢れているということに気づきました。
あとはそれらを使いこなすための知識や実際の使い方とかなどを知っていれば、意外と自分が理想とするライフスタイルは実現するんではないか?と普段活動していく中で考えるようになりました。
そういった情報を他の人にも知ってほしい、発信したいと思いこの「ギークスグロース」というブログを始めました。
この「ギークスグロース」というブログの名前には、「ギークス(プログラマーやエンジニア)」があなたの普段の活動を「グロース」するという思いから「ギークスグロース」というブログ名にしました。
このサイトで取り上げている内容があなたの普段の活動に少しでも役に立つことがあれば嬉しいです。
私の自己理念
ノブレス・オブリージュ
元はフランスの言葉で、意味は身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという意味。
簡単に言うと「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならない。」
という意味です。
私がこの理念を掲げた理由は、[東のエデン]というアニメに出てくる主人公がまさに、このノブレス・オブリージュを実際にやっており、僕自身もこういう人になりたいと思ったのがきっかけです。
このアニメの内容をざっくり言うと、100億円を使って日本を救うという内容でした。
この100億円を使って日本を救う使命を負うのは全部で13人。
13人がそれぞれの考える日本救済の方法を100億円を使っていく中、この主人公だけが個人的に本当に他の人のために100億円を使っていました。
例)13人の内の1人が、頑張って資格を取得しても給料が10円しから上がらない。
この国は一度戦後の状態に戻った方が良いという理由でミサイルを落とす。
13人に選べれている主人公がこのことに気づく、100億円を使ってミサイルが落ちるところに住んでいる住人を全員逃がす。
ミサイルが落ちるところに住んでいた住人は助かったが、助かったが家や財産を失った住民から今回これらの住人を逃がすために協力した人達が「なぜ、この人達はミサイルが落ちてくることを事前に知っていたのか?」と疑われだす。
主人公が全ての罪を被って、今回のミサイルを落とした張本人として名乗り出る。
僕はアニメだけど、本当にこういう人が実在するんだと感動しました。
僕も、この主人公みたいに自分の持っているものを誰かの役に立つために使いたいと思い、この理念を抱えています。
私のこれまでの経歴
私のこれまでの経歴の簡単な流れは次のとおりです。
・大嫌いだった英語が大好きになり、関西外国語大学に入学。
・その後留学する試験を受け、理不尽なことを経験。
・自分の人生について考える。
・留学することで違う国の人と触れ合うことで、常識なんか存在しないことを実感。
・日本に帰国後、Webのフリーランスの方を紹介してもらってWeb系のプログラミングを学び始める
・システム系の会社に約1年間経験を積んだ後に独立。
・その後は会員制サイト構築やWebサービスなどを開発して生計を立ています。
詳しい詳細は下をご覧ください。
大嫌いだった英語が大好きになった瞬間
私は英語が大嫌いでした。
元々勉強は大嫌いだった私ですが、英語は特別苦手でした。
理由はたった1つ。
どうして日本人なのに、英語を勉強しないといけないのか?
まあ、正直に言うと英語の文字とか見てもわけがわからないし、テストでも毎回30点とかだったので単純に苦手だっただけなんです笑
でも、そんな大嫌いな英語を勉強しようと思った理由がありました。
それはエマ・ワトソンとの出会いです。
私がちょうど高校生になる頃に映画のハリーポッターが流行っていて、映画を見に来ました。
僕が始めてエマ・ワトソンの印象はこうでした。
「・・・可愛い。」
私はハリー・ポッターに出てくる、ハーマイオニー役のエマ・ワトソンにすっかり恋に落ちてしまい(勝手にw)
それ以来英語に関して興味が湧いてきました笑
僕の夢はいつしか「エマ・ワトソンの専属の通訳になって世界中を飛び回る。」ということになっていました。
そのために留学の支援が整っていた関西外国語大学に入学しました。
人生について深く考えるきっかけになった留学試験
私が関西外国語大学に入った時に考えていた大学4年間のプランがありました。
大学4年間のプラン。
・大学1回生:英語をちゃんと勉強して留学試験に備える。
・大学2回生:留学の試験を受けて合格。
・大学3回生:留学に行き、海外で生活する。
・大学4回生:日本に帰国して就活をする。
私は入学当初上のような計画を立てていました。
だから、夏休みや春休みなども総て返上して、毎日図書館に通って英語の勉強をしていました。
そして、迎えた留学最終試験。
内容は日本語面接でした。
この日本語面接ではどうして留学に行きたいのかを説明する試験です。
そこで面接官に言われた言葉があります。
「君の留学に対する情熱は理解できたけど、君が単位を取ってくる気がしない。」
私はこの言葉を聞いた時、すごく理不尽だと思いまいた。
なぜなら、留学をしたことがない人が留学に行くための制度じゃないのか?と思ったからです。
この時僕はすごく落ち込みました・・・。
理由はこの大学2回生で留学の試験に落ちると留学に行って大学を4年で終えて無事就活をするという道はないからです。
この大学では、留学に行くのは試験を受けてから1年後。
つまり、2回生で留学試験に受かれば3回生ので留学にいって4回生の時に日本に帰ってきて留学に行くことができるというもの。
でも、落ちてしまった場合は3回生で留学試験を受けて、4回生で留学して5回生で留学から帰国。
そこから、就活。
当時の私の時は就職氷河期と言われており、中々就職することが難しいとされていた時でした。
そんな時に大学5回生で就活するというのは当時の私にとっては相当リスキーなこと。
でも、正直留学を諦めたら何のためにこの大学に入学したのかがわからない。
でも、留学すると大学を入学する時に決めていた計画がすべて台無しになってしまう。
でも、留学に行きたい。
でも、就職できなかったらどうしよう・・・。
私はこの時すごく悩みました。
ただ、悩んだ結果思ったことがあります。
それは、普通に大学を出て、就職して、そのまま1つの会社に勤め上げて人生を終える。
そんな人生でいいのかな?ということ。
人生は1度きりなんだし、社会人になってから留学なんて費用的にも時間的にもいける気がしない。
就職できないなら、自分でお金を稼げるようになればいい。
そう思い、私は3回生になって留学に行くことを決意しました。
そして、起業系のイベントにこの頃から足を運ぶようになりました。
当時僕の中でかなり有名だったのが、堀江貴文氏ことホリエモンや、家入一真さんといった起業家の人達でした。
そこで、よく聞いたのが次のセリフ。
「僕は家で仕事がしたいので、パソコンを使って起業をしました。」
僕はこれを聞いて、パソコンを使いこなせば独立して自由にやっていくことができる。
そう思ってプログラミングに興味を持ち始めました。
それによくよく考えてみれば、英語を勉強し始めたのも、エマ・ワトソンの通訳になって世界中飛び回ることができる。
世界中飛び回って仕事するのってなんだかカッコイイ。
そういう理由もありました。
プログラミングってめちゃ難しい。
ただ、いざプログラミングをしてみると何がなんだかわけがわからなくてすぐに挫折してしまいました。
他に世界中回って仕事する方法がないかなあと色々と模索していたところ次の記事に出会いました。
http://lrandcom.com/facebook_former_executive_learning_programming_guarantee_life_time_work
私はこの記事を見て衝撃を受けました。
プログラミングをマスターできれば、理不尽なことが起きたとしてもやり直すことができる。
facebookの役員の人が言うんやし、間違いないだろう。
それに人が足りなくなるということは、このスキルを持っていれば当分は仕事に困ることもなさそうだと思いもう1回本腰を入れてやってみることにしました。
この時挑戦していたのは、iPhoneのプログラミング言語のObjective-Cというやつをやっていました。
留学を経験して、常識なんてものはその国によって変わることを実感。
次の留学試験に向けて、思ったことはおそらく伝え方が悪かったのかもといこと。
なので、前回どこがダメだったかを徹底的にリサーチして、大学の教授などにも留学試験で使われる書類などにも目を通してもらってアドバイスをもらうなどして万全の準備をして留学試験に望みました。
そのおかげで無事合格し、アメリカのフロリダ州にあるRollins Collegeというところに留学することが決定しました。
留学中は自分で他の人から翻訳の仕事を受けたり、プログラミングの勉強もしながら、アメリカの大学の勉強もしていました。
僕の中で留学中で印象に残ったことがあります。
それは、やっぱり日本とは全然違うということ。
具体的には、コンビニなどで定員の人が作業中は基本的にはお客が待つということ。
どうしても急ぎがある人は分けを話したりして、対応してもらったりしていました。
でも普通の場合は、定員の人が「この作業が終わったら行きますね」と一声お客さんにかけたりしていました。
日本の場合だと、たとえそれがすぐに終わる作業だったとしてもお客さんのところに飛んできて対応しますよね?
でも、アメリカの場合だと逆。
お客さんも当たり前のように待ってくれます。
あと、驚いたのが道中知らない人に急に声をかけられてそこから普通に30分とか1時間とか話し込むことがあったりしました。
日本だと普通見知らぬ人に声をかけられてそこからなんの他愛のない世間話を30分とか1時間話すとかありえないですよね?笑
また、僕の中で人の考えが急激に変わった出来事が1つあります。
それは、最後の期末試験。
内容的には各グループでプレゼンを行うというもの。
僕はふつうプレゼンとかならみんなで集まって試験の前に段取りを確認して行うもんだと思っていました。
実際日本の大学ではそういう風にして、グループプレゼンの試験をやっていました。
だけど、試験当日の日誰も試験前に集まらないし、挙句の果てには普通に何人か遅刻。
もちろん、事前のリハーサルとかもなしで結局ぶっつけ本番でプレゼンを行うことになりました。
日本の大学ではみんなマジメに授業前に集まってリハーサルとかしてたので、これが当たり前だと思っていましたが、これはアメリカでは当たり前じゃありません。
その時に、僕は「この人はここまでやってくれるだろう」と思って何かするのは良くないと学ぶことができました。
まとめると、コンビニで定員さんが即座に対応してくれることや道端で知らない人と話し込んだりするのがおかしいというのはあくまでも日本の中での常識であって、他のところでは常識ではない。
チームなんかでこの人はここまでやってくれるだろうと思うのは僕の中でのみの常識であって、他の人の常識なんかじゃない。
つまり、常識なんてものは住む場所や囲まれている人によって変わるんだってことを身をもって実感することができました。
日本に帰国して、半年ほどで独立。
留学中はずっとObjective-Cの勉強をしていましたが、結局身につきませんでした。
教科書に載ってあることはできるけど、それをどうやって応用していいかわからないというような状況です。
今思えば、初めてにしてはかなりハードルの高い言語をしていたなと自分では思います笑
ただ、プログラミングを使ってどこにも属さずに自由に生きていきたいと思っていた僕は知り合いの方の紹介で、大阪でフリーランスとして活躍されている方を紹介されました。
CSSなどから改めてプログラミングをはじめました。
その流れでPHPなどを覚えていき、知り合いのシステム会社さんを紹介してもらいました。
そのシステム会社で約1年経験を積んだのちに独立。
今はフリーランスとして活動しています。